ユーモアとは何か
1 管理人 2024-12-07 11:18
どうして人間はこのような発声をすることがあるのでしょうか。
101 管理人 2024-12-07 11:18
㋐珍妙な言動・状況などがおもしろくて、思わず笑いたくなる。こっけいである。「この漫画は実に―・い」
㋑どこか不釣り合いで、嘲笑ちょうしょうしたくなる。ばかばかしい。「彼が代表だなんて―・くって」
2 普通とようすが違うのに気づいて疑わしく思うさま。
㋐普通ではないところが感じられる。変である。変わっている。「どうもからだの調子が―・い」
㋑言動や状況が不審である。いぶかしい。怪しい。「なんとなくそぶりの―・い男」
3 普通とは違った格別の趣のあるさま。
㋐興味をそそられる。
可笑しいとは、一つの異常性に対する反応だと言えそうです。
102 管理人 2024-12-07 11:18
美しいメロディーの中に下品な歌詞を代入して、その歌詞が元の歌詞とものすごくマッチしていて、自然に代入されているというもの。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm5861649
103 管理人 2024-12-07 11:19
1,調和(元の歌詞とものすごくマッチした替え歌の歌詞)
2,不調和(美しくかっこよいメロディにものすごく下品な歌詞が挿入されている)
という、調和と不調和、二つの要素が同居しているからこそ笑いが起こるのだと思う。
104 管理人 2024-12-07 11:19
105 管理人 2024-12-07 11:20
106 管理人 2024-12-07 11:20
ユーモアは起こるので、「不調和の中に”調和が存在する”」ことへの評価になっている部分もある。
笑いは批判であると同時に、評価でもある。
107 管理人 2024-12-07 11:20
笑い、恐怖、怒り、不安、いろいろなパターンがあるけど、それぞれどのような違いがみられるだろうか。
108 管理人 2025-09-27 10:28
そもそも人間は「適度な予想外、非日常なこと」を強く求めているんじゃないだろうか。
これもどっかで話したことがあったけど、多分多くの人間というものは、全く同じルーティンワークみたいな日常が変わりなく続いていったら
発狂しそうになるほど退屈だと思う。何か新しい発見とか、環境の変化に前もって適応度を上げるために人には「飽きる」という機能があるんだと思う。
(どっかの心理実験で隔離された部屋にどれだけ引きこもれるか、耐えられた時間分賞金を与えるとか、そういう実験なかったっけ?)
あと、冒険とか、旅行とかが普通に楽しいと思う気持ちは、行動が管理された秩序だった日常からの脱却というか、
やっぱり今までにない体験というものをできるものなら感じてみたいということは普通の感覚だと思う。
多分人間には「予想外の驚き、非日常」というものに対して快感を得るという機能の一つにユーモアという性質を獲得したんじゃないか?
109 管理人 2025-09-27 10:32
生存率を高めるために心理的に、身体的に許容範囲の日常的変化というものを求め続けなければならないから。
1010 管理人 2025-09-28 04:45
言い換えてもいいかもしれない。
1011 管理人 2025-09-28 10:02
(具体例を挙げるなら、交通事故を起こして誰かが瀕死になっているとか、大地震や津波で家や人々や町レベルの規模で損害があるとか、)
恐らく「笑って反応する」ということでは済まされないため、不安や恐怖や絶望といった感情レベルの応答になるのだと思う。
「笑いと恐怖は紙一重」とかよく言われるけど、笑いも恐怖も、日常的な通常性、「普通」から脱却した状態に対する反応だという点で一致している。
1012 管理人 2025-09-28 10:36
笑えるような事態ではないということなんだと思う。
1013 管理人 2025-10-02 15:24

エヴァンゲリオンの6話で、シンジがレイと協力してラミエル倒した後、シンジはレイに対して、「笑えばいいと思うよ」と言った。
これは「使徒ラミエルと死闘を繰り広げている」という極限状態の非日常から生還することができたという意味で安堵している、
つまり、「シンジとレイにとって、心身共に許容範囲内の非日常」だということが(結果論的に)確認できたからこその安堵の笑みなんだと思う。
これがもし、「シンジかレイが戦死してしまった」という結果になったならば、戦闘後のリアクションもまた違ったものにならなければ、
少なくとも人間性が薄いということになる。
2 管理人 2024-12-07 11:20
「何が面白いものか分からなくなってくる」というもの。
これは恐らく、「ギャグの世界に入り浸る時間が長すぎて、正常と異常の境界線がよくわからなくなってしまっている」状態なのだと思う。
「面白い(ギャグの世界、常識からズレた世界)」の状態にいる時間が長すぎて常識のラインが変わり、何が常識で何がギャグだったのか
正常の境界線を忘れてしまった状態なのだと思う。だから精神が病んでしまう。
そう考えると、ボーボボを長期連載で行っていた作者の精神力はかなり異常だったのかもしれない。
逆に銀魂の作者は、「ギャグ展開でズレた常識のライン」を一端正常なラインに戻すために、「シリアスな展開」を挟むことで、
常識と非常識のラインを、一般的なラインに戻すことで精神の安定を図っていたのかもしれない。実際のところは分からない。