フラクタルとは
1 管理人 2024-06-10 13:30
0 0 落ち着け101 管理人 2024-06-10 13:31
102 管理人 2024-06-10 13:32
103 管理人 2024-06-10 13:32
フラクタル構造の例としてよく挙げられるマンデルブロ集合を拡大していくと、
104 管理人 2024-06-10 13:34
https://sciencenote.jp/solar-system-objects-and-planets/
https://science-stock.com/chemistry-atom/
惑星の公転軌道と原子核を回る電子の動きはフラクタル的である。
105 管理人 2024-06-10 13:36
国家を巡る道路と人体を巡る血管はフラクタル的である。
106 管理人 2024-06-10 13:37
107 管理人 2024-06-10 13:37
108 削除しました 2024-06-10 13:38
109 管理人 2024-06-10 13:40
https://nazology.net/archives/73939/452c77d6a9be9f23753a49c758e1af8d
生物の神経細胞の結びつきと銀河系の分布図は非常にフラクタル的である。
1010 管理人 2024-06-10 13:40
1011 管理人 2024-06-10 13:40
1012 管理人 2024-06-10 13:41
1013 管理人 2024-06-10 13:41
1014 管理人 2024-06-11 18:18
1015 管理人 2024-06-21 12:41
生命としての成長が宇宙の膨張を作り上げているということなのだろうか?
となると、我々が住んでいるこの宇宙の外には、宇宙という生命体の外界があって、この宇宙とは別の宇宙という生命が発生しているのだろうか?
恐らく、この宇宙という生命の外界は、また別の物理法則を持っていて、体内で発生している宇宙は我々が住んでいる宇宙と似たような宇宙ではあるが、
恐らく少し違った物理法則を持った宇宙なのではないだろうか?
2 管理人 2024-06-10 13:42
201 管理人 2024-06-10 13:42
202 管理人 2024-06-10 13:42
203 管理人 2024-06-12 23:21
204 匿名モードによる書き込みです。 2024-09-03 12:29
ある種の漸化式はしばしば差分方程式 (difference equation) と呼ばれる。また、「差分方程式」という言葉を単に「漸化式」と同義なものとして扱うことも多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%B8%E5%8C%96%E5%BC%8F
3 匿名モードによる書き込みです。 2024-09-03 12:26
301 匿名モードによる書き込みです。 2024-09-03 12:28
302 匿名モードによる書き込みです。 2024-09-03 12:28
303 匿名モードによる書き込みです。 2025-05-25 18:14
304 管理人 2025-10-21 11:03
梵我一如
梵我一如(ぼんがいちにょ、梵: तत्त्वमसि, tat tvam asi、汝は其(そ)れなり)とは、インド哲学(ウパニシャッド哲学)において、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること[1]、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドのヴェーダ(ウパニシャッド)における究極の悟りとされる。
宇宙の全てを司るブラフマンは不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものである[1]。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するということであり[1]、またアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠でもある[1]。
仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは遍在する原理、または真理を指していた。我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。
すべての行為、すべての愛欲、すべての香、すべての味、このすべてを包括しているものは、言い表せることなく気づかない。これが心の中の我がアートマンであり、これがブラフマンである。この世を去って後、われはこれと合一すべしと思う者には、実に疑いあることなし。
— チャーンドーギヤ・ウパニシャッド,3,14,4 [1]
ヴェーダ(ウパニシャッド)における究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82
305 管理人 2025-10-21 11:06
永劫回帰
永劫回帰(えいごうかいき、ドイツ語: Ewige Wiederkunft)とは、フリードリヒ・ニーチェの思想で、経験が一回限り繰り返されるという世界観ではなく、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。ニーチェは『この人を見よ』で、永劫回帰を「およそ到達しうる最高の肯定の形式」と述べている。永遠回帰とも言われる。
ニーチェは、キリスト教が目標とするような彼岸的な世界を否定し、ただこの世界のみを考え、そしてこの世界を生成の世界と捉えた[1]。永劫回帰とは、この世界は、全てのもの(大いなるものも卑小なものも)が、まったく同じように永遠にくり返されるとする考え方である[1]。キリスト教的な時間解釈では、この世の時間と物事には始まり(天地創造)があり、終わり (神の国の到来)があって、歴史はこの終点を目的として進行する[1]。だが永劫回帰する世界には、それ以外の世界はなく、そこには始まりもなく終わりもない[1]。彼岸的な神、神の国、この世ではない理想の世界などを考える思想にとっては、それらが人生の目的となり、そうした目的との関連で人生の様々な物事は意味を与えられる[1]。しかし、永劫回帰においては、到達すべきものとしてのいかなる究極目的もないので、その限りにおいては、いかなる世界内の物事も意味、価値がない[1]。ニーチェは、こうした一切の彼岸的なものと世界内の物事の価値の否定を伴う永劫回帰思想を『カへの意志』において「ニヒリズムの極限形式」であると述べた[1]。
しかしニーチェは、永劫回帰を引き受ける意志こそが最高の「力への意志」であると考えた[1]。すなわち、永劫回帰においては一切の物事は永遠にわたって回帰し戻ってくるのだから、根本的には何物も失われずに、存在する[1]。ゆえに、永劫回帰を引き受けることは、ニヒリズムの極限であると同時に、自己を含む一切のものの肯定、しかも無数にくり返される肯定であるというのである[2]。
ニーチェ自身は永劫回帰の思想をほのめかすだけにとどまっている。
ニーチェは『権力への意志』で、物理学のエネルギー保存の法則をその根拠のひとつとしている。
「探し当てられるべきは実在(真理)なのだが、実在は言葉を住(す)み処(か)とし、そして自分という存在はその住み処の番人をしている、ということにすぎないのだ。言葉が歴史という名の草原を移動しつつ実在を運んでいると思われるのだが、自分という存在はその牧者(ぼくしゃ)にすぎない。その番人なり牧者なりの生を通じて徐々にわからされてくるのは、実在は、そこにあると指示されているにもかかわらず、人間に認識されるのを拒絶しているということである。それを「無」とよべば、人間は実在を求めて、自分が無に永遠に回帰するほかないと知る。つまりニーチェの「永劫回帰」である。それが死という無にかかわるものとしての人間にとっての実在の姿なのだ。」
— (『虚無の構造』西部邁著 148ページ 9〜17行目より引用[3])
ニーチェは永劫回帰を直感的、文学的に語っているために、その体系的な意味合いは不明瞭である。
ただ、宗教的な意味合いにおいては、永劫回帰はキリスト教的な来世や東洋的な前世の否定であり、哲学史的な意味合いにおいては、弁証法の否定と解釈できる。ニーチェは永劫回帰を説き、弁証法を否定することによって、近代化そのもの、社会はよりよくなってゆくものだという西洋的な進歩史観そのものを覆そうとしたのである。弁証法は、近代哲学の完成者といわれるヘーゲルの基本概念であり、これを否定することは文字通り、近代哲学を覆そうとする試みであった。ニーチェの永劫回帰の思想は、ポスト・モダンの近代批判に大きな影響を与えることになる。
すべての善悪、優劣は人間の主観的な思い込みに過ぎず、絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪も否定する、価値相対主義の極限という点では、ブッダの諸行無常・諸法無我、荘子の万物斉同論に近い。絶対正義を語るキリスト教の強い西洋思想というよりも、東洋思想によく見られる発想である。が、仏教については諦観だとしてニーチェは否認しているので、永劫回帰はもっと能動的である。すべてのものは平等に無価値であり、終わりも始まりもない永劫回帰という究極のニヒリズムから、運命愛にいたり、無から新価値を創造、確立する強い意志を持った者をニーチェは超人と呼んでいる。しがらみも伝統も秩序もまったくの無であるということは、そこからあらゆる新価値、新秩序が構成可能だということである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%8A%AB%E5%9B%9E%E5%B8%B0
306 管理人 2025-10-21 14:58
多元宇宙論
多元宇宙論(たげんうちゅうろん、英: multiverse)またはマルチバースは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説である。多元宇宙[1]は、理論として可能性のある複数の宇宙の集合である。多元宇宙はすべての存在を含み、そこには、われわれが一貫して経験している歴史的な宇宙に加え、空間、時間、物質、およびエネルギーの全体と、そして、それらを記述する異なる物理法則および物理定数なども含まれる。この語は1895年にアメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズによって造られたが、異なる文脈においてである[2]。多元宇宙が含むそれぞれの宇宙は、並行宇宙と呼ばれることもある。
概要
多元宇宙の構造、そこに含まれるそれぞれの宇宙の性質、およびそれら宇宙の間の関係は、考えている特定の多元宇宙仮説に依存する。宇宙が一つでないと考える理由(多元宇宙が存在する意味)は仮説によってさまざまである。宇宙論、物理学、天文学、宗教、哲学、トランスパーソナル心理学およびフィクション、特にサイエンス・フィクションとファンタジーにおいて、多元宇宙の仮説が立てられてきた。これらの文脈では、平行宇宙は代替宇宙[3]、量子宇宙[4]、相互浸透次元[5]、並行次元[6]、並行世界[7]、代替現実[8]、および代替時系列[9]などと呼ばれることもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%85%83%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AB%96
4 匿名モードによる書き込みです。 2025-03-20 23:13
宇宙がらせんや渦巻きで満ちている理由がエントロピーの理論から示唆される
自然界には植物のつるや渦潮、DNAの二重らせん構造など、らせんや渦巻きあるいは環状構造になったものが数多く存在します。情報量のことを指すエントロピーについての新たな研究から、「なぜ自然界が渦巻きやらせんにあふれているのか」という疑問の答えが示唆されました。
https://gigazine.net/news/20250319-nature-spirals-link-entropy/